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原題はギボンの著作でも使用されている言葉なのだそうです。
シュンペーターの講義を聴講していた学生の一人が、このハイルブローナーです。(是非は別として)不況は「お湿り」と喝破した講義のエピソードが第十章に出てきます。本書の中身に関してもシュンペーターの影響を看取できますが、入門書としての性格を破壊する程のものではないようですので安心して読めました。分量も結構なものですが、内容もまた結構なもので、原書や二次資料がふんだんに活用されており読み応えがあります。さて、個別の思想家としては第3章:アダム=スミスから取上げられています。それまではスミスに至るまでの前史となっており、歴史的背景、「交換」や「利得」といった観念、そして「市」と「市場システム」の違いなどの解説が行われています。その後は、マルサス、リカード、社会主義者、ウェブレンなどが続き、J.M.ケインズ、シュンペーターへと至ります。最終
章のタイトルは、「世俗の思想の終わり(end)?」となっていますが、英語の「end」が持つ二つの意味に注意を向けるものに過ぎず、本当に終わりを意味している訳ではないようです。それは、ハイルブローナーの最後の一文を読むだけでも分かるはずです。
シュンペーターの講義を聴講していた学生の一人が、このハイルブローナーです。(是非は別として)不況は「お湿り」と喝破した講義のエピソードが第十章に出てきます。本書の中身に関してもシュンペーターの影響を看取できますが、入門書としての性格を破壊する程のものではないようですので安心して読めました。分量も結構なものですが、内容もまた結構なもので、原書や二次資料がふんだんに活用されており読み応えがあります。さて、個別の思想家としては第3章:アダム=スミスから取上げられています。それまではスミスに至るまでの前史となっており、歴史的背景、「交換」や「利得」といった観念、そして「市」と「市場システム」の違いなどの解説が行われています。その後は、マルサス、リカード、社会主義者、ウェブレンなどが続き、J.M.ケインズ、シュンペーターへと至ります。最終
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